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2022年05月06日

赤レンガ倉庫

敦賀港は良港に恵まれ古くから物資を運搬する港として発展してきました。

 先の大戦によって多くは破壊されましたが、港沿いにレンガ倉庫が残っています。

 当時の面影を残す赤レンガ倉庫。
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 横には若狭線を走っていた電車が展示されています。
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 倉庫は飲食店と敦賀市内を走る機関車のジオラマ館があります。
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 営業時間は
 ジオラマ館:9:30〜17:30最終入館17:00)
 レストラン館:9:30〜22:00(各店舗によって営業時間は異なります)


 入り口前にはキッチンカーがあってお汁粉を売っていました。
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 赤レンガ倉庫の近くには旧敦賀駅舎や人道の港敦賀ムゼウムなどがあります。


敦賀港の歴史
 
 江戸時代
 敦賀港は敦賀湾奥部に位置する天然の良港として、古くから我が国各地域とアジア大陸を結ぶ交易拠点として栄えてきました。
 江戸中期以降西廻り航路の発達によって、北国と京都・大阪との交流が盛んになるにつれ、敦賀港は北前貿易の中継基地として、また、蝦夷地開発に必要な建設資材、生活必需品の供給基地として繁栄しました。

 明治時代
 敦賀港の開港運動が実を結び明治32年開港場に指定されました。
 明治35年にはウラジオストクと敦賀港との間に定期航路が開設され、明治42年には港湾整備拡充の目的で第一期修築工事が内務省直轄で開始されました。その後敦賀にロシア領事館も開庁され、明治45年から、週一往復新橋から金ケ崎間に欧亜国際連絡列車が走り、シベリア鉄道を経由して、遠くヨーロッパ諸国に直結されて、敦賀は一躍交通の要路として位置づけられました。

 大正時代
 大正11年には、現在の敦賀港の原型を築く大規模な港湾整備に着工しました。 
 また、大正14年にはソ連領事館も開庁しました。(昭和19年まで)

 昭和時代
 昭和26年には重要港湾及び出入国港に指定され、昭和28年に港湾管理者は福井県になりました。
 その後、昭和30年には北海道定期航路が開設され、また、対ソ貿易も再開され港勢は回復に向かいました。
 昭和52年には港湾機能拡充と再編を期して、外港地区に鞠山新港整備計画が策定され、現在大型岸壁が整備されています。






posted by 福井 県人(フクイ ケント) at 13:18| 福井 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 嶺南の観光地 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年10月15日

熊川宿

福井県内で最初に重要伝統的建築物群に指定されたのが熊川宿です。

 今まで何回も訪れましたが、今回はまだ残暑が残っている9月に訪れました。

 宿の降り口に車を置いて常夜灯が置いてあるところから入って行きました。

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 宿場内は車の通行が制限されてるのか、あまり車は見かけませんでした。
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 宿場内の地図
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 街中に水路があるのは風情があっていいですね。
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 蔵にある鉄砲座間のような意匠が目立ちます。
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 お店も雰囲気に合わせての店構えです。
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 逸見家
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 逸見家は熊川村の初代村長逸見勘兵衛の子息で伊藤忠商事二代目社長となった伊藤竹之助翁の生家で、熊川を代表する町家のひとつ。
 主屋、土蔵、庭が平成7年1月に町指定文化財となり、その後3か年をかけて大規模な修理が行われ、町家造りを生かした機能的な現代の住まいとして生まれ変わりました。

 芋車
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 水車の中に芋を入れておくと水の力で回転して芋の皮がむけるようになっています。

 熊川宿資料館
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 昭和15年に、熊川出身で伊藤忠商事二代目社長の伊藤竹之助(いとうたけのすけ)〔旧姓=逸見(へんみ)〕により、近代洋風建築の熊川村役場が建てられました。
 トスカナ風の柱頭をもつ円柱がポーチに建ち、寄棟瓦葺の2階屋根の中央には越屋根が付いています。
 今も鬼瓦には「役場」の文字が見られます。

 今川宿にはこれまで何回も訪れていますが、その時よりあまり変わっていないように思います。

 でも住んでいる人に伺うと『近頃は新しい人が入ってきてお店をやっている』そうです。

 何件かは宿として営業しているようでした。

 今は農家民宿や民泊事業を行いやすくなったせいかも知れません。

 何れにしても町が活気づいて賑やかになることは良いことですね。

 お祭りも行われているようですが、その時期になると大勢の人が訪れます。

 当時の賑わいが少し戻って来たかのような雰囲気が人を呼ぶのでしょうか?

posted by 福井 県人(フクイ ケント) at 22:04| 福井 ☁| Comment(0) | 嶺南の観光地 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年04月29日

敦賀赤レンガ倉庫


 敦賀には敦賀港が国際港だった時代の遺産が残っています。

 港近くに赤レンガ倉庫が残っています。

 この倉庫は09年には登録有形文化財に指定されました。

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 現在残っているレンガ倉庫は2棟だけですが、戦争で壊されたり、建て替えられたりした倉庫は他にもあったと思います

 倉庫への入口は横にあります。

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 中には当時の巨大ジオラマと飲食店が入っています。

 まるでお祭り状態です。
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 倉庫から見る金ヶ崎
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 レンガ倉庫があるところはムゼウムの近く、港の近くにあるので訪れやすいと思います。

 春には金ヶ崎宮の桜を見てから立ち寄るのも良いと思います。

 敦賀に来られた折にはちょっと立ち寄ってみてはいかがでしょうか。

 地図
 

posted by 福井 県人(フクイ ケント) at 06:10| 福井 | Comment(0) | 嶺南の観光地 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月18日

金ヶ崎緑地(敦賀市)

 敦賀は港町。

 その港の一画が金ヶ崎緑地として整備されています。

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 そして、戦前には大陸への玄関口でした。

 今のその面影があちこちに残っています。

 港に面したところには昔をしのばせる建物が残っています。

 これは敦賀ムゼウム

 第二次世界大戦中にユダヤ難民を救った杉原千畝(すぎはらちうね)の記念館として、当時の写真などが多く展示されています。

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 明治時代に鉄道が敷かれた時には港まで線路が敷かれていました。

 その駅が残っています。

 その名もずばり「敦賀港駅

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 昔は飛行機と言う便利な乗り物はなかったのでもっぱら船に頼りました。

 その港の一つが敦賀港だったのです。

 敦賀はヨーロッパと結ぶ国際港だったんですね。

 
posted by 福井 県人(フクイ ケント) at 17:32| 福井 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 嶺南の観光地 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年08月20日

柴田氏庭園

 小浜藩の有力農民であった柴田氏の庭園が敦賀市に残っています。

 つい最近までは改修が進んでいなかったんですが、その一部の修復が終わりました。

 庭園の名前は甘棠園(かんとうえん)と言います

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 門をくぐって中に入ると・・・・・、

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posted by 福井 県人(フクイ ケント) at 05:13| 福井 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 嶺南の観光地 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年07月03日

帰り山観音

 国道8号線を敦賀から福井方面に向かうと途中の江良というところに帰り山観音という観音様があります。

 そこには湧水が何時も涌いていて、水を飲んだりポリバケツに入れたるする人が絶えません。

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 いつもそばを通るときに大勢の人がいるな〜〜くらいにしか思わなかったんですが、先日そこを訪れてお店の人にいろいろ聞きました。

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 するとそこは単に湧水がわいてるだけの地ではなかったんだということが分かりました。

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posted by 福井 県人(フクイ ケント) at 06:15| 福井 ☁| Comment(1) | TrackBack(0) | 嶺南の観光地 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年04月22日

三丁町界隈(小浜市)

 どこか懐かしい風情が残る町、三丁町。

 少し前なんですが、小雨が降る日に訪れました。

 ここはちょっと前にNHK朝の連続ドラマのロケ地になった場所です。

 ちりとてちん

 こんな題名でした。

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 細い路地を入っていくと・・・・、
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 お寺や・・・・・、
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posted by 福井 県人(フクイ ケント) at 03:14| 福井 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 嶺南の観光地 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年09月10日

立石(敦賀市)

 敦賀市の突端にある集落 立石。

 その先には海しかなく、まさに地の果てといったところです。

 家の後ろにはすぐに山が迫っており、海が荒れる冬の日は大変だっただろうと想像できます。

 その立石に行ってきました。

 遠くから集落を望みます。
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 山が迫ってきているのがわかります。

 今は護岸も整備されて防波堤もできていますが、一昔前まではそんなものもなく風の向きによっては直接波が集落を襲ってきたんでしょうね。

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 集落のはずれの岩場には小さな祠がありました。

 海で生きる者にとって自分たちを守ってくれる神様への信仰が自然と湧いてきたんだと思います。

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 米が取れるような土地もなく、漁業だけが唯一の仕事だったとおもいます。

 そんな過酷な条件にもかかわらず集落は存続してきました。

 今は若い人もなかなか定着せずに離れて行っていると、そこに住んでいる人は言っていました。

 漁村だけじゃなく農村や山村でも同じようになってきています。

 集落が消えていこうとしています。

 どうすればいいのかを考えながら、立石灯台を目指しました。


posted by 福井 県人(フクイ ケント) at 07:08| 福井 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 嶺南の観光地 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年09月08日

芭蕉杖跡 色が浜

 奥の細道を書いた芭蕉はその道中で福井にもその足跡を残しています。

 今庄にも残っていますし、敦賀半島にも残っています。

 それが残っている場所に行ってきました。

 その場所は敦賀半島の色が浜

 日本原子力発電所に行く道の途中に看板が立っているので見られた方も多いと思います。

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 集落にへと続く道を入っていくと・・・・、
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 そのお寺「本隆寺」はありました。
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小さな駐車場に郵便ポストとともにそのいわれが書かれていました。
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 境内に入っていくと…、
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 ありました・・・・、と言っても石碑だけですが。
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 杖を置いた場所かどうかは分かりません。って言うか杖を置いただけでは痕は残らないと思うんですが・・・・。
 
 その横には、詠んだ句が石に彫られていました。
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 当時は今のように整備された道なんかはなくて、手漕ぎ舟でここまで来たんでしょうか?

 お寺の前にある浜辺に行くと白い砂浜が広がっていました。

 ちょっと風がきつかったんですが、沖には夏海水浴客でにぎわう水島が見えました。
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 カモメが浜辺で羽を休めていましたが、近づずくと風の中を飛び去っていきました。

 訪れた日は雨風が強かったんですが、やはりこういう歩いて散策してみたいような場所はお天気がいい日にしたほうがいいですね。

 変なことに納得しました。傘を差しながらのカメラ撮影はちょっと難しいです。

posted by 福井 県人(フクイ ケント) at 06:13| 福井 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 嶺南の観光地 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月17日

若狭国吉城歴史資料館

 群雄割拠した戦国時代、各地には多くの城が築かれました。

 今も美浜町を通っている丹後街道を眼下に見下ろす通称「城山」に建てられたのが国吉城でした。

 若狭の守護大名武田氏に重臣であった粟屋越中守勝久が、若越国境の境目の城として弘治2年(1556)に古城跡を改修して築城したといわれています。

 その麓にあった城主館跡には今も石組が残っています。

 国吉城廃城の後若狭の国に入封した譜代大名坂井忠勝は若狭の国東部支配の拠点として、佐柿奉行所(御茶屋御殿)を置きました。

 現在はその跡地に若狭国吉城歴史資料館が建てられ、平成21年4月に開館しました。

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 准藩士屋敷は小浜藩預かりとなった水戸天狗党の残党を収容するために慶長2年にここに建てられ、今のその石垣が残っています。
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 国吉城歴史資料館
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 中に展示されている資料等は撮影禁止でしたので、玄関の部分だけ・・・・・。
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 資料館の周りには石組と発掘中の現場がありました。
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 後どれくらい石組は出てくるんでしょうか
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 今回は城跡まで登らなかったんですが、機会があれば一度登ってみたいと思います。

 そこにはどんな景色が見られるんでしょうか。

 戦国の騒乱時に生きた人たちが見た風景がそこに広がっているんでしょうか。

 一度見てみたい気がします。

 


posted by 福井 県人(フクイ ケント) at 05:50| 福井 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 嶺南の観光地 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする