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2009年11月17日

杉田玄白

 ターヘルアナトミアと言われても知らないかもしれませんが、「解体新書」って言われると知っている人は少しいるかもしれません。

 私も歴史の詳しいわけではないんですが、この言葉だけはなぜか覚えていました。

 そして恥ずかしいことですが、この解体新書をオランダ語から翻訳した人が福井県の小浜出身だということも知りませんでした。

 杉田玄白

 有名な人です。

 誰もが学校の歴史で学んだことがあると思います。

 辞書も何もないところから解体新書を出したんですから、その苦労はちょっとうかがい知れません。


 現在の小浜病院前にその銅像が建っています。

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 また、以前紹介した若狭おばま食文化館にもその紹介がされています。

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 福井県出身者の中でもっとも有名な人ではないでしょうか。


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2009年08月24日

甦る炎(越前焼を紡いだ人たち)

 来週が最後の日曜日になりますが、福井県陶芸館で福井が産んだ陶芸家の作品展が開かれています。

 北野 七左衛門
 塚原 芥山
 藤田 重良右エ門


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 塚原 芥山(1907〜1945)
 幼少の頃から「神童}とよばれ、陶芸を初め絵画、彫刻にずば抜けた才能を誇った。

 その天才的な資質は芥山が弟子入りした瀬戸市の陶芸家・加藤唐九郎に「芥山の才能がおそろしい」と言わしめるほどであった。
 
 その後、福井市に戻り足羽川原で作陶をはじめ「福井県初の陶芸家」となった芥山は、昭和17年5月からは北野七左衛門の陶房にて作品を製作し、越前の荒土で作陶するなど多大な影響を北野氏に与えた。

 しかし、さらなる躍進が期待される中、結核により亡くなった。

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 北野 七左衛門(1912〜1989)
 昭和35年の作陶を始めた頃は九谷焼風の花瓶や急須などの色絵陶器の制作を手がけていた。

 その後、野村凱風氏の紹介で塚原芥山に出会い、その作品を目の当たりにした北野は大きな刺激を受け、古越前がもつ独特の魅力に開眼した。

 戦後は、越前焼の素朴さと深い味わいを醸し出す「イラボ袖」と「焼締」を用いた作風を確率。

 越前焼にかける情熱と風貌は、津村節子の小説「炎の舞い」のモデルとなった。

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 藤田 重良右ェ門(1922〜2008)
 昭和17年、近衛連隊3年間所属し、戦後に復員。

 歴史ある越前焼たいら窯八代目として「ねじたて成形(輪積み)」の技を守り、日用雑貨の製作を続けいていた。

 転機となったのは、昭和47年、越前陶芸村を訪れた高松宮ご夫婦からの「見事な伝統技法を後世に伝えるよう」という言葉にうたれ、伝統の技を後世に伝えるとともに、芸術性に富んだ作品を数多く手がけ、北野と共に越前焼の発展を支えた。

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 作品はもっとあったのですが、個人所有のものが多いので、近づいての写真は撮ることは出来ませんでした。

 あと一週間で作品展は終わります。

 近くに行かれることがあればお立ち寄りください。

 



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2008年09月29日

渡邉 洪基(東京大学 初代総長)

 明治時代にはたくさんの偉人が輩出しましたが、ここ武生でもそんな人がいました。


 渡邉 洪基

 
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 東京大学 初代総長 になった人です。



 その渡邉 洪基展が武生の街中で開かれています。

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 展示してあるのは当時の新聞の切り抜き記事の写真ぐらいなんですが、記事にはいろんな活躍をされていることが書かれていました。

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 テーブルの上に置いてあった記入帳には、全国各地から訪れた人の名前が書かれていました。

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 また、昨日お知らせした苗田提灯店さんの近くにある養徳寺には渡邉 洪基のお墓があります。

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 車に乗っているとついつい止めるところがなければやり過ごしてしまいます。

 そんなところは車を降りて、歩いてみると実に多くの気付きがあります。

 歴史ある街等は特にそうなんでしょうね。


 一度車を降りて、ゆっくりと街中を歩いてみてはいかがでしょうか?い。

 いろんなことに気づくと思います。

 いままで知らなかったことが、分かるようになります。


 街のそぞろ歩きは楽しいものです。










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2008年07月12日

佐久間艇長

 今年も、以前紹介した佐久間艇長の眠る前川神社に行ってきました。

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 石碑の左側にある小道を少し上っていくと

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 沈着勇断が目に飛び込んできます。

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 若狭方面に行くときには時間があれば必ずここに立ち寄るようにしていますが、何時訪れてもきれいに掃除がしてありとても気持ちが良いものです。

 これも佐久間艇長が地元の人に親しまれ尊敬されているからでしょう。

 佐久間艇長は今で言う潜水艦の艦長でしたが、潜水訓練中に浮上できなくなり、そのまま乗組員全員が艦内で死亡しました。

 艦内で死亡すると言うことは、酸素不足による窒息死です。

 当時の潜水艦は、ガソリンエンジンで駆動する構造でしたが、そのエンジンが不調になり浮上できなくなったのです。

 艦内にはガソリンの匂いが息も出来なくなるほど充満した状況で、しかも酸素不足にもかかわらず艇長以下14名が全員その持ち場を離れず最後までその任務を全うしたのです。

 その当時似たような事故が外国でも発生していましたが、潜水艦の中では乗組員は我先に助かろうとして出口に殺到しハッチの周りで死んでいたそうです。

 全員が最後までその持ち場を離れずに仕事を全うしたことも驚嘆に値しますが、何より佐久間艇長を世に知らしめたのは、刻々と死が迫る中で手帳に克明に国家に対するお詫びと部下を死に至らしめたことに対する謝罪などが綴られていました。


 今は戦前の時代は軍国主義がまかり通ったとしてあまり評価されていませんが、佐久間艇長のような軍人がここ福井に輩出したと言うことはもっと誇りに思って良いと思います。


 少し小高い場所に艇長のお墓があります。
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 佐久間艇長が乗っていた潜水艇の番号からとった6号神社です。
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 佐久間艇長の生家です。
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 佐久間記念館です。
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 まだ中を見たことがありません。
 どこに連絡したら見せてもらえるのか、ご存じの方は教えてください。


 生家の直ぐ横にある前川神社です。
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 今の日本があるのはこうした先人達の血と汗で作られたものが重なった結果だと思います。

 それらを壊すことなく、のちの子孫に伝えていくことが今の我々に出来る最低限のことではないでしょうか。


 今の世情を嘆くことなく、誰のせいにする訳でもなく、今の自分に出来る自分の仕事を全うしていくこと、それを忘れてはいけないと思います。


 佐久間艇長のことが書いてあるホームページは

 http://www.hokuriku.ne.jp/kouyouan/sakumateityou18.htm

 http://www.asahi-net.or.jp/~un3k-mn/navy-rokugo.htm
 
 http://www.hokuriku.ne.jp/montanyu/index.html

 http://www.h7.dion.ne.jp/~kjc1973/newpage31.htm



 佐久間艇長の生誕地は
 佐久間記念館
 クリックすると大きくなります。














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2008年06月19日

浅羽由紀

 浅羽由紀はじめました。

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 今日ご紹介する浅羽由紀さんは静岡県出身で福井県出身ではありません。

 が、何かと福井とはつながりがあるようです。

 ご本人が語ってくれたことなんですが、浅羽由紀さんのお父さんが福井県出身の歌手野路由紀子さんの大ファンで、その人に因んでこの名前がつけられたそうです。

 ですから、全く福井とは関係ないとは言えません。

 詳しいことは浅羽由紀さんのブログに書いてありますのでそちらを見てくださいネ。




 さて歌の方ですが、浅羽由紀さんの歌はとてもエネルギッシュで、よくあんなに華奢な体で大きな声が出るもんだ、と思うくらいです。

 しゃべっているときは普通の、普通の女の子の声なんですけど・・・・・・・。


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 当日は野路由紀子さんのご兄弟も応援に駆けつけてくれました。

 ちょっと緊張してたみたいです。

 ライブが終わってすぐに帰られたそうで、お疲れ様でした。

 また、福井に来られたときにお会いしましょう。
















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2008年06月18日

入日 茜(シンガーソングライター)

 さる15日(日)に武生クラッシクスで行われたミニコンサートで堀川ひとみさんの他にも入日茜さん、浅羽由紀さんが歌を披露してくれました。

 今日は、入日茜さんを紹介します。

 
 入日茜さんは福井県出身シンガーソングライーターです。

 当日はピアノの弾き語りをしてくださいました。

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 開演にちょっと遅刻をしてしまいましたので全部を聴けなかったんですが、春待ち列車がとても心に残りました。

 入日さんの声はとても澄んでいて、耳に心地よい余韻が今も残っています。

 コンサートの後には、気軽にCD売り場に立たれてCDを売ったりサインをしている時に厚かましくもスナップをお願いしたんですが、気軽に応じてくれました。


 その時の写真がこれです。
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 ありがとうございました。

 入日さんの人となりが分かりますネ。


 インターバルの間はドット会場から出てきて思い思いに食べたり飲んだりします。
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 私の心に残った春待ち列車は、セカンドアルバムの「あの空に会いたい」に収録されています。

 
 で、買いました。

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 このアルバムには全部で13曲が収録されています。


 是非あなたも入日茜さんの澄んだ歌声を聴いてみてください。


 きっと心が癒されると思います。

 入り日さんはブログも書いていられますので、そちらもどうぞ。

 左のリンク集にも乗せてま〜〜〜〜す。






春待ち列車
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2008年06月16日

ライブ in 武生クラッシクス

 15日(日)14:30から武生クラッシクスで福井県出身のシンガーソングライター堀川ひとみさんのコンサートがあったので、それを聞きに行ってきました。

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 会場と言っても普段は明かり庵として使われているお店の中を変えただけですが、視聴者は30人ぐらい来られていました。

 私は初めから聴いていたわけではないのですが、訪れたときには大勢の人がお店の前にたむろしていました。

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 真ん中におられるのが堀川さんです。


 お店の前には移動販売車も来ていて、ポテトや蕎麦なんかも打っていました。
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 演奏後は丹南ケーブルテレビの収録がありました。

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 収録されたものは6月20日から27日にかけて放送されるそうです。

 放送時間は10時〜、15時〜、21時〜の3回です。


 好みにコンサートでは何曲かの曲を披露されていましたが、その中で「私の心 嘘だらけ」は心に残りました。

 後ほどその歌詞を書かせていただきます。(了解を頂きましたので・・・・)


 堀川さんはこの収録の後、車で神奈川まで帰られたそうです。

 ご苦労様でした。


 また来られる際にお目にかかれるのを楽しみにして待っています。


 リンクも張りますので、訪れてみてくださいね〜〜〜〜〜。(左側です)


 応援よろしくお願いします。

























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2007年09月10日

真保 由斉(越前漆器を生きた名工)

 9月8日(土)から30日(日)にかけてうるし会館で行われる真保 由斉(彫りの世界展)に行ってきました。

 真保 由斉といってもピンとこない人がいるかも知れませんので、略歴を・・・・・。


 真保 由斉(明治32年〜昭和51年)は福井県鯖江市に生まれ、明治45年河和田沈金徒弟養成所に入所。

 そこで輪島市出身の和田 其水氏に沈金技術を、平野 次良氏に図案を、日本画を桑野 長松氏に師事して修行し、大正3年に独立した。

 その後も東京美術学校教授帝室技芸員六角 紫水氏、芸術院会員山崎 覚太郎氏と連繁を保ちつつ技を習得した。

 
 このうるし会館で開かれています。
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 由斉が使用していた道具類です。
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 ここからは由斉の作品をご鑑賞ください。

 まるで、絵画のような繊細さでかかれていました。
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 この棚は見事の一言です。
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 由斉の作品は、漆が塗ってある板を彫刻刀などで傷を付けたり、彫り込んだりしながら図案を描き、そこに金粉や銀粉を落とし込んで仕上げています。

 ですから、近づいてよくみると、彫刻刀で彫った跡が見えました。 
 細かい手仕事で、根気のいる仕事ですが、その仕上がりは芸術と呼ぶに相応しいものです。


 ここに展示されている作品は個人所有のものが約半数で、あまり市場では出回っていないとのことでした。

 ですから、その価値はどれだけあるのか分かりません。


 あなたも芸術の域にまで達した漆器の世界のふれてみませんか?

 
 お待ちしています。


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2007年06月10日

第2回 食育推進全国大会

 サンドーム福井で開かれている食育推進全国大会に行ってきました。

 会場への入り口です。
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 入り口付近には牛や鶏、羊、鴨などが子供の人気を集めていました。
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 食育という言葉を広めたのは石塚 左玄(さげん)という人物ですが、この人はなんと福井県出身だったのです。

 知りませんでした。
 
 この人が石塚 左玄です。
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 左玄が生まれたのは江戸時代末期の嘉永4年(1851)から明治42年ですが、写真で見る限り今でも十分に通用する容姿です。

 もう少し知りたい方はこちらへ 
 

 大勢の人が訪れていました。
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 今立のゴボウ講で出される御膳です。
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 初めて見ました。

 魚の捌き方の講習会もありました。
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 石臼体験もありました。
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 手前にあるのが、古い石臼で、石で磨りつぶして粉にします。

 
 即売会の内でこれが一番気に入りました。
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 my箸を持ち歩くためのものです。

 割り箸を使わないため、地球に優しい箸ということでした。

 この袋は漆の里工芸館でお買い求めできます。


 食育推進全国大会は2日間のみの開催だったのですが、福井県のみならず、全国からの出品・出店がありそれなりに面白かった。


 こんな企画はこれからも続けてほしいと思います。


 






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2007年06月01日

山川登美子

 山川登美子が22歳の時、与謝野鉄幹が1900年に創刊した雑誌「明星」に心惹かれて社友となりました。

 明星に歌を寄せる女性たちの中で登美子、鳳晶子、増田雅子の3人は特に注目されました。

 登美子与謝野鉄幹に恋心を抱きますが、親が決めた山川駐七郎と結婚します。

 また鉄幹は晶子と結婚しました。

 しかし、夫駐七郎は結核に冒されて2年足らずで他界し、登美子も夫によって結核をうつされ、わずか29歳9ヶ月の生涯を閉じました。


 その登美子が生まれ育った生家が、小浜市に残っています。


 登美子の生家です。
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 中にはいると・・・・・、
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 登美子のプロフィールが書かれています。


 屋根付きの玄関はお殿様専用の玄関で家人は横にある玄関を利用していたそうです。
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 山川家は小浜藩歴代の重臣の家柄だったようです。
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 間取りが庶民の家の間取りではありませんでした。


 登美子が最後に看取られた部屋です。
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 撮影禁止でしたので、庭を介して撮りました。


 庭に面した縁側です。
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 登美子です。
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 この生家には、登美子が愛用した琴や着物、守り刀、明星、手紙などが展示されています。


 小浜市にお越しの際はお立ち寄り下さい。


 お待ちしています。


 場所は
 山川登美子
 クリックすると大きくなります。












posted by 福井 県人(フクイ ケント) at 01:27| ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 福井の有名人 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする