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2014年05月21日

籐野厳九郎と魯迅

 魯迅とは中国の思想家であり文学者でもあります。

 代表作としては狂人日記、阿Q正伝、故郷などがあります。

 その魯迅が師と仰ぐ人が籐野厳九郎です。

 籐野厳九郎は今のあわら市下番生まれで福井中学校を経て愛知医学校を卒業した後、仙台医学専門学校に招かれて解剖学の教授となりました。

 この時に中国から留学生として来日し仙台医学専門学校で出会いました。

 そこで籐野厳九郎から講義ノートの添削を受けるなどして師弟愛が深まっていった訳です。

 その籐野厳九郎の家が芦原温泉駅近くに移築され残っています。

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 資料館と言えが廊下でつながっていて、周りは板塀に囲まれて移築前の様子とはちょっと違っています。

 この玄関からは入れません。
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 資料館の中には籐野厳九郎と魯迅の遺品が展示されています。
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2011年07月27日

テーブルコーディネーター 上木恵美子

 服を選ぶにしても自分の部屋の中を整理整頓するのはその人のセンスが現れます。

 何気なく置かれた花瓶やテーブルの位置などでなんとなくセンスがあるのかどうかが分かることってあります。

 そんなセンスは持ち合わせていないんですが、それでもそのようにディスプレイされていると、私でもなかなか良いと感じるときがあります。

 そんな気持ちにさせてくれるのが、越前陶芸村にある陶芸館です。

 ここでは常時上木恵美子さんが入口で越前焼を使ったテーブルコーディネートを見ることが出来ます。

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 越前焼の色合いといい、テーブルクロスの柄といい、それらの並べ方といい、ちょっとしたことで雰囲気が変わるものですね。

 これらを見るにつけ、私にももう少しそのような感性があれば・・・・と思うのですが、なかなかそればっかりはそうもいかないようで。

 上木恵美子さんのテーブルコーディネートは定期的に入れ替えられていますので、その時々のテーブルコーディネートを見ることが出来ます。

 陶芸村に来られた折にはお立ち寄りください。


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2010年07月12日

蝉丸の墓

 普段見慣れた光景。

 そんな中でややもすると埋もれてしまっていて気がつかない歴史があります。

 あまりにも見慣れた光景でも、そこには先代達が育んできた営々たる歴史が埋もれているかもしれません。

 歴史を大切にしなければと思い始めたのはつい最近ですが、これも齢を重ねたことがそう言わせているのかもしれません。

 
 そんな中、小倉百人一首に収録されている蝉丸のお墓があるというのを、「越前伝統工芸めぐりイラストマップを見ていて気がつきました。


 収録されている歌です。

 これやこの

  行くも帰るも分かれつつ
 
   知るも知らぬも逢坂の関



 その場所は、
 



 そこへは国道365号線を越前海岸に向かっていき、樫津東と言う交差点を右に曲がってさらに行くと道案内が見えます。

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 これが見えればすぐです。

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 お墓は細長い敷地の片隅にありました。
 
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 3基の五輪の塔のうちの一つが蝉丸のお墓と伝えられています。

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 ちょっと読めないのですが、石碑には歌が彫ってありました。

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 いつも見ている風景だからこそ気がつかないことがあります。

 でも、そんな中にこそ大切にしなければいけないものが埋もれているのかもしれません。

 ただ、気がつかないだけ・・・・。


 先代達が残してくれた歴史をいつまでも大切にしていくことが今を生きる者たちの宿題なのかもしれません。


 そして、私たちも時の流れの中で歴史を作っていっているということも。


posted by 福井 県人(フクイ ケント) at 01:48| 福井 ☔| Comment(2) | TrackBack(0) | 福井の有名人 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年07月06日

佐久間記念交流会館

 以前にも何度か紹介しましたが、福井が誇れる偉人、佐久間艇長の記念館が出来たと聞いていたので行ってきました。

 この話は確か福井新聞に載っていたので知っておられる方も多いと思います。

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 以前にも同じ敷地に記念館はあったのですが、鍵がかかっていて何時でも見ることはできませんでした。

 それが今年記念館を新しくて建てられて、何時でも見ることが出来るようになったのです。

 中に入ると展示場の前に佐久間艇長の銅像があります。

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 展示場には・・・・、
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 賞状や・・・・、
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 殉職された潜水艇の模型や・・・・・、
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 遺品・・・・・・、
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 死ぬ直前まで綴った手帳の写真
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 この手帳に記された内容が佐久間艇長を偉人たらしめたものです。

 残念ながらこの手帳は関東大震災の時に焼失してしまい、写真だけが残りました。

 
 引き上げられた潜水艇の写真と沈没した海域。
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 数々の写真
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 明治四十三年四月十五日、第六号潜水艇は潜航演習のため山口県新湊沖に進出、午前九時三十分母艇暦山丸を離れ、午前十時前ガソリン潜航演習を開始した。

 しかし、間もなく艇に故障が発生、浸水のため沈没全員殉職した。

 ガソリン潜航とは、現代のスノーケル潜航のようなもので、海面上にパイプを出し、空気を取り入れながらガソリンエンジンにより航行するという、当時としては斬新な発想であり、同艇はこれを試験中であった。

 この種の事故の際、引き揚げた艇内は阿鼻叫喚の状況を呈していたのが諸外国の例に見られたが、第六号潜水艇の場合は、総員整然と持ち場に就いたままの姿で発見された。

 そのため世界的に大きな反響を呼び、各国の潜水学校では現在も尊敬すべき潜水艦乗りの姿として教育されている。

 
 毎年ここ前川神社イギリス駐在武官が招かれて祝典を行いますが、このことを持ってしても、佐久間艇長が残した精神は受け継がれているのだと思います。


 少々長いですが、手帳に書かれていた内容を以下に記します。

 小官ノ不注意ニヨリ陛下ノ艇ヲ沈メ部下ヲ殺ス 誠ニ申訳無シ

 サレド艇員一同死ニ至ルマデ皆ヨクソノ職ヲ守リ沈着ニ事ヲ処セリ我レ等ハ国家ノ為メ職ニ斃レシト雖モ唯々遺憾トスル所ハ天下ノ士ハ之ヲ誤リ

 以テ将来潜水艇ノ発展ニ打撃ヲ与フルニ至ラザルヤヲ憂ウルニアリ 希クハ諸君益々勉励以テ此ノ誤解ナク将来潜水艇ノ発展研究ニ全力ヲ尽クサレン事ヲ サスレバ我レ等一モ遺憾トスル所ナシ

 沈没原因

 瓦素林潜航ノ際 過度深入セシ為「スルイス・バルブ」ヲ諦メントセシモ 途中「チエン」キレ依ッテ手ニテ之シメタルモ後レ後部ニ満水 約廿五度ノ傾斜ニテ沈降セリ

 沈拒後ノ状況

一、傾斜約仰角十三度位

一、配電盤ツカリタル為電灯消エ 悪瓦斯ヲ発生呼吸ニ困難ヲ感ゼリ 

十四日午前十時頃沈没ス

 此ノ悪瓦斯ノ下ニ手動ポンプニテ排水ニ力ム

一、沈下ト共ニ「メンタンク」ヲ排水セリ 燈消エ ゲージ見エザレドモ「メンタンク」ハ排水終レルモノト認ム

 電流ハ全ク使用スル能ハズ 電液ハ溢ルモ少々海水ハ入ラズ「クロリン」ガス発生セズ残気ハ五00磅位ナリ

 唯々頼ム所ハ手動ポンプアルノミ「ツリム」ハ安全ノ為メ ヨビ浮量六00(モーターノトキハ二00位)トセリ

 (右十一時四十五分司令塔ノ明リニテ記ス)

 溢入ノ水ニ溢サレ乗員大部衣湿フ寒冷ヲ感ズ

 余ハ常ニ潜水艇員ハ沈着細心ノ注意ヲ要スルト共ニ大胆ニ行動セザレバソノ発展ヲ望ム可カラズ 細心ノ余リ畏縮セザラン事ヲ戒メタリ

 世ノ人ハ此ノ失敗ヲ以テ或ハ嘲笑スルモノアラン サレド我レハ前言
ノ誤リナキヲ確信ス

 
一、司令塔ノ深度計ハ五十二ヲ示シ 排水ニ勉メドモ十二時迄ハ底止シテ動カズ

 此ノ辺深度ハ八十尋位ナレバ正シキモノナラン

一、潜水艇員士卒ハ抜群中ノ抜群者ヨリ採用スルヲ要ス

 カカルトキニ困ル故 幸ニ本艇員ハ皆ヨク其職ヲ尽セリ 満足ニ思フ 我レハ常ニ家ヲ出ヅレバ死ヲ期ス 

 サレバ遺言状ハ既ニ「カラサキ」引出シノ中ニアリ(之レ但私事ニ関スル事言フ必要ナシ田口浅見兄ヨ之レヲ愚父ニ致サレヨ)

 公遺言

謹ンデ陛下ニ白ス 我部下ノ遺族ヲシテ窮スルモノ無カラシメ給ハラン事ヲ 我念頭ニ懸ルモノ之レアルノミ

 左ノ諸君ニ宜敷(順序不順)

一、斎藤大臣  一、島村中將  一、藤井中將  一、名和中將  一、山下少將  一、成田少將  一、(気圧高マリ鼓マクヲ破ラル如キ感アリ)  一、小栗大佐  一、井手大佐  一、松村中佐(純一)  一、松村大佐(龍) 一、松村小佐(菊)(小生ノ兄ナリ)  一、船越大佐   一、成田綱太郎先生  一、生田小金次先生

 
十二時三十分呼吸非常ニクルシイ

瓦素林ヲブローアウトセシ積リナレドモ ガソリンニヨウタ

一、中野大佐

十二時四十分ナリ

  以上は「12期候補のホームページ」からの引用です。


 若狭地方に行かれる時にはぜひ一度立ち寄ってみてください。

 佐久間艇長の遺徳が偲ばれます。
 

 佐久間記念館のある場所は
 〒919-1305 三方上中郡若狭町北前川
 
 



 国道27号線を小浜に向かっていくと、右手に立て看板があります。



posted by 福井 県人(フクイ ケント) at 04:39| 福井 ☁| Comment(7) | TrackBack(1) | 福井の有名人 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年07月02日

義民 松木長操

 国道27号線小浜に向かって走っていくと、金網に掲げられた看板がイヤでも目につきます。

 義民 松木長操遺跡

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 郷土が生んだ偉人、それにしても何か軽い感じの看板。

 風が吹いたら飛んでいかないんだろうかといらぬ心配をしてしまうような看板。

 それにしても金網に掛けなくても・・・・・、もう少し落ち着いた看板に・・・・・、と思いつつ車を中に入れて、その義民の眠るお墓を見に行きました。

 ちょっと広い境内を見渡すと・・・・、ありました。

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 松木長操という人は、江戸時代に若狭全村の百姓の年貢の引き下げを願い出て処刑された人のようです。

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 今でも感謝している人がいるのか、お墓には花が飾られていました。


 五輪のお墓の横には石仏が寄り添うように置いてありました。
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 お墓がある正明寺の山門
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 境内の中には公民館もあって、なぜか昔のポストが立っています。

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 郷土が生んだ義民 松木長操。 

 どんな集落にもこのような話は言い伝えで残っています。

 今の私たちの生活は営々たる人達が残してくれたものの上に成り立っていると言うことを忘れないでいたいものです。

 これからも子供たちに歴史を残し重ねて行くために・・・・・。


 義民 松木長操のお墓がある場所は
 


 
posted by 福井 県人(フクイ ケント) at 00:27| 福井 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 福井の有名人 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月19日

音の起源(ナナ・イロ、ヒナタカコ、横田はるな)

 先週14日に鯖江市文化センターで開かれた音の起源コンサートに行ってきました。

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 この様子はもう少し早くお知らせしたかったんですが、当日はいくつもの会場を掛け持ちしていて、その結果をブログに載せていたので今日まで遅れました。

 
 会場には開演の30分くらい前に到着したんですが、すでに多くの人が開演を心待ちしていました。
 
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 入り口に置いてあったクレイアート
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 ナナイロみっちゃんが作りました。

 会場には色んな方が来られていました。

 和服を着た人や・・・、
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 若い人や・・・・、
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 小さな子も来ていました。
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 会場での撮影は出来なかったんですが・・・・、こんな会場で演奏されました。
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 演奏が終わってサイン会。
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 残念ながら3組全員の写真は撮れませんでした。


 今まで、なかなかこんな生演奏を聴くチャンスはなかったんですが、やはり良いですね。

 当人も思いもしなかったハプニングがあったりしましたが、楽しい一時を過ごさせていただきました。

 またこんな機会があれば、出向いてみたいと思います。

  

お知らせ
posted by 福井 県人(フクイ ケント) at 10:41| ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 福井の有名人 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月17日

久里洋二の世界展−秘密の美術館

 鯖江市政55周年記念の行事として「久里洋二の世界展」が鯖江市まなべの館で開かれています。

 久里洋二さんは郷土の出身で、画家アニメーション作家として幅広く活躍されています。

 また、年配の方にはNHKの子供番組「ひょっこりひょうたん島」のオープニング映像や「11PM」のアニメーションなどは懐かしいと思います。

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 エレベータのドアにも
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 配色がきれいですね
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 この作品は見たことがあります。
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 久里洋二さんの特別展は3月21日(日)までですので、まだ見に行っていない方は訪れてみてください。

 本物の絵はやはり違います。

 

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2010年02月22日

籐野厳九郎

 今からおよそ客年前、一人の中国人と一人の日本人が仙台医学専門学校で出会った。

 中国人の名前は魯迅、日本人の名前は藤野厳九郎

 この出会いが籐野厳九郎と魯迅が深い絆となり、「最も尊敬する師」と言われるまでの関係となった。

 籐野厳九郎は医学校で教鞭を執り、魯迅は中国からの留学生で解剖学の講義・添削を通して励まし指導を行った。

 当時、中国蔑視の中にあって魯迅にとって生涯忘れ得ぬ「偉大な恩師」として心に残ることとなった。

 その後、籐野厳九郎が東北帝国大学医学専門部教授となるも大学の組織が変わったため辞職し、三井慈善病院で耳鼻咽喉科の講義を受けて務
めるがここも辞め郷里である福井に戻ってきた。

 その籐野厳九郎が開業した医院が今もあわら市に残っています。

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 家の中は驚くほど質素で、不必要なものは今の医院とは全然違うと感じました。
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 診察室
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 座敷に飾られている若き日の魯迅と籐野厳九郎
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 白衣
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 恥ずかしいことですが、魯迅という人は知っていたものの、籐野厳九郎という人物をこの地を訪れるまで知りませんでした。
 
 中国の偉大な文学者であり思想家であった魯迅

 彼がここ日本で勉強をし、文学に目覚め、後に中国に帰ってからは文学を通じて中国の発展に少なからぬ影響を与えた人になりました。

 そのきっかけを作った籐野厳九郎

 その人物についてはもっと知ってもらいたいと強く思いました。

 
 1983年に中国・紹興市と芦原町との間に「友好市町」が締結されています。


posted by 福井 県人(フクイ ケント) at 06:43| ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | 福井の有名人 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月25日

佐久間艇長

 前から一度訪れてみたかった場所が小浜市にある。

 小浜公園

 少し小高い丘で、頂上に行くまでに小浜市が生んだ何人もの偉人の碑が建っている。

 この公園にはその中の一人、福井が生んだ軍人 佐久間艇長の記念碑が立っている。

 佐久間艇長は、潜水艇の訓練航海中に機関の故障で浮上せずに、乗組員全員と殉職した方である。

 その潜水艇の中で記された内容によって世界の偉人とされているのである。


 公園の階段を上っていくと頂上にその碑は建っていた。

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 戦で戦功をたてたわけでもなく、むしろ訓練中に殉職しただけであるのに、なぜ世界の偉人と言われるのか。

 それは、空気が無くなり、刻々と迫りくる死に対して乱れることなく、乗組員全員の指揮をとり、死に向かったからである。

 その内容については、少々長くなりますので、以下の写真で確認してください。

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 ちょっと手抜きですが・・・・・。
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 以前の記事にも書きましたが、現在は軍人であることに対してアレルギーがあるように思います。

 昔は強食弱肉の世にあって外国の脅威から国を守るということがいかに大事であるかが、日本人一人ひとりの中にしみ込んでいたと思います。

 だからこそ優秀な人間は軍人になろう、軍人になって国を守ろうという人が多かったのだと思います。

 佐久間艇長の生誕の地、若狭町の前川では今でもそのことを伝えていこうと生家は保存されています。


 軍人、民間人それぞれ立派な人はいます。

 明治以降、世界に知られた日本軍人は数多くいます。

 そのことを忘れず伝えていかなければ、この国のために汗と血を流してくれた人たちに対して申し訳ないと思います。


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2009年11月17日

杉田玄白

 ターヘルアナトミアと言われても知らないかもしれませんが、「解体新書」って言われると知っている人は少しいるかもしれません。

 私も歴史の詳しいわけではないんですが、この言葉だけはなぜか覚えていました。

 そして恥ずかしいことですが、この解体新書をオランダ語から翻訳した人が福井県の小浜出身だということも知りませんでした。

 杉田玄白

 有名な人です。

 誰もが学校の歴史で学んだことがあると思います。

 辞書も何もないところから解体新書を出したんですから、その苦労はちょっとうかがい知れません。


 現在の小浜病院前にその銅像が建っています。

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 また、以前紹介した若狭おばま食文化館にもその紹介がされています。

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 福井県出身者の中でもっとも有名な人ではないでしょうか。


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