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2022年05月07日

若狭国分寺

小浜市の東側に国分寺があります。
 国道27号線沿いにありますが、ちょっと見難いので見逃してしまうかもしれません。

 現在は釈迦堂と薬師堂が残っています。

 薬師堂
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 ここには本尊・木造釈迦如来坐像が安置されています。



 釈迦堂
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 ここには木造薬師如来坐像(重要文化財)が安置されています。

 今の釈迦堂は金堂跡に建っています。 

 釈迦堂は、慶長15年(1610)に創建されましたが焼失。現在の釈迦堂は、宝永2年(1705)に再建されたものです。

 概略図 
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 寺域内には古墳があり若狭姫神社がまつられています。

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 概略
 天平13年(741)に聖武天皇の詔で、奈良に東大寺、諸国に国分寺が建てられました。若狭国分寺もその一つで、東大寺より少し遅れて奈良時代後半8世紀中頃に創建されました。

 10世紀中頃まで存在していましたが火災で焼失。その後、鎌倉時代に再建されましたが、戦国時代に焼き討ちにあい衰退。

 若狭国分寺跡については、昭和47年より3年にわたる発掘調査を実施、天平の偉容が明らかとなりました。
 その結果、現在国分寺周辺に僧寺の存在を明確にしました。寺域は方二町(230メートル)であり、遠敷地区に残る条里の線と一致する。伽藍配置は、南大門・中門・金堂・講堂と軸線上に配し、その東に塔を置くという形をとっています。

 南大門と中門については、後世の破壊が著しく、基壇土が確認されたのみである。金堂は現釈迦堂と重なっており、平面規模は、桁行は五間で長さ21.6メートル、梁行が四間で長さ15メートルをはかります。
 基壇化粧は乱石積みで、その大きさは南北21.9メートル、東西28.8メートルである。金堂前面に2ヶ所の階段がとりつけられ、玉石敷きの巾1メートルの東・西参道が中門にのびる。講堂については掘立柱穴を東西四間分、南北二間分確認しました。
 塔の規模は三間等間で、各柱間寸法は2.7メートルとなり、初層辺長は8.1メートルとなります。基壇辺長は約15.3メートルの方形と推定されます。

 本国分寺跡の特徴として、各建物の規模がやや小さいこと、塔の南西に径50メートルの円墳(国分寺古墳)があり、寺域内に巨大な古墳のあるのは全国的に珍しいです。
 さらに、瓦の出土が少なく、堂や塔は瓦葺でなかった可能性が強いと考えられます。また塔の東南部から、金銅製の相輪の破片も30数点発掘され、全国的に貴重な資料です。

posted by 福井 県人(フクイ ケント) at 18:57| 福井 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史的遺構 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月14日

府中城遺構

 今の越前市庁舎の裏で発掘調査が行われています。

 現在の市庁舎です。
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 玄関前には館跡の説明が書かれています。
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 発掘で明らかになった石垣は城郭の一角だと思われます。
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 複数の専門家は「府中領主の本多氏の館の可能性が高い」と指摘しています。

 府中城は、朝倉氏が置いた府中奉行所が始まりとされ、前田利家が天正年間に築城しました。
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posted by 福井 県人(フクイ ケント) at 22:39| 福井 ☁| Comment(0) | 歴史的遺構 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月05日

橋本佐内居宅跡

 福井県民なら誰でも知っている偉人の一人に橋本左内がいます。

 左内は幕末に活躍した人で

 名は弘道。号、景岳。緒方洪庵(おがたこうあん)・杉田成卿(すぎたせいけい)らに蘭学・医学を学び、藩主松平慶永(まつだいらよしなが)に認められ、藩政改革に尽力。将軍継嗣問題では一橋慶喜(ひとつばしよしのぶ)擁立に尽力。

 残念なことに安政の大獄で斬罪(ざんざい)に処された。26歳でした。

 福井市内には橋本左内にまつわる地がいくつか残っています。

 今回は橋本左内の居宅後を紹介します。
 
 ある日訪ねてみましたが、あまり広くなかったようです。
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 井戸の跡
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 説明書き
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 橋本左内の略歴
 幕末の開明派志士。福井藩士。
 名は綱紀(つなのり)、号は景岳、黎園(れいえん)。左内は通称。
 25石五人扶持(ぶち)奥外科医の長男。1848年(嘉永1)『啓発録』を著す。翌年大坂の緒方洪庵(おがたこうあん)塾に学び、1854年(安政1)江戸遊学、蘭学(らんがく)研究を続けるとともに英語、ドイツ語にも理解をもった。
 この間、藤田東湖(ふじたとうこ)、西郷隆盛(さいごうたかもり)らとも交渉し内外情勢への識見を深め、1855年藩医から御書院番に起用され、1857年藩校明道館学監となり、政教一致、経済有用の学を鼓吹し洋書習学所を設けるなど治績をあげた。
 同年江戸に呼ばれて藩主松平慶永(まつだいらよしなが)の侍読兼内用掛となり、一橋慶喜(ひとつばしよしのぶ)を擁する将軍継嗣(けいし)運動に携わった。
 彼は近い将来における国際連合的機構の出現を予想し、積極的に開国してロシアと攻守同盟を結び、外国貿易を盛んにして富国強兵を実現するとともに、英明の将軍のもと親藩、譜代(ふだい)、外様(とざま)にかかわらず有為の大名、藩士、浪人、学者、さては庶民層までも網羅した幕府規模における統一国家体制の樹立を考えていた。
 1858年上京して公家(くげ)に遊説、あわせて通商条約への勅許を勧めたが、紀州慶福(よしとみ)(家茂(いえもち))を推す井伊直弼(いいなおすけ)大老の出現により一橋派は敗北、安政(あんせい)の大獄で捕らえられ、翌年処刑された。
 彼は西洋学への深い理解をもったが、実用の学としてより以上の価値を認めることができなかった。また、軽輩の身分から抜擢(ばってき)し藩・国政の枢機へ参加させた慶永への誠忠の念強く、在獄中も終始主家へ災いの及ぶことを恐れた。

posted by 福井 県人(フクイ ケント) at 14:54| 福井 ☀| Comment(0) | 歴史的遺構 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月04日

愛発船川の里

 その昔、北陸の産品を京に運ぶために川を利用していました。

 川に船を浮かべて川上に運んでいたようです。

 その福井県側の船着き場が敦賀市の愛発地区に残されています。

 鉄道産業遺産のツアーで行きました。

 地区の中を流れる小さな川ですが、水量が多いです。
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 これだと船を引くのにもいいですね。

 新しく整備された愛発船川の里
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posted by 福井 県人(フクイ ケント) at 06:06| 福井 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史的遺構 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月01日

鉄道産業遺産 樫曲トンネル

 明治時代北陸に蒸気機関車が走っていた頃、北陸トンネルはまだ造られてなく、線路は海岸線を縫うように走っていました。

 そんな時代に造られたトンネル群が今庄側と敦賀側にいくつも残っています。

 当時はレンガや石を積み上げて内部を補強していました。

 敦賀の樫曲地区に短いトンネルが残っています。

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 今ではもう使われなくなりましたが、すぐそばには旧線路は国道になっています。

 トンネルがある場所
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 トンネルは歩けるようになっていて、歩き始めるとランプが点灯するようになっています。
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 レンガの積み方にはいくつかの方法があるようです。
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 明治時代には削岩機も無く手掘りで工事は進められたことでしょう。
 
 それだけに苦労が偲ばれます。

 100年以上たった産業の遺構が今に残っていることは、先人たちの知恵と労力を伝えるにはいいことです。

 遺跡というものは一目でそれの困難さと偉大さが分かります。

 それを今後に伝えていくことは今を生きる我々の責任でもあると思います。



posted by 福井 県人(フクイ ケント) at 10:13| 福井 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史的遺構 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月12日

ランプ小屋

 金が崎宮に上る手前にあまり目だ立たないレンガ造りの小屋があります。

 小屋に下りる階段わきには看板がありますが、中が公開されたなかったので、どんな風になっていたのかは分かりませんでした。

 レンガ造りなので古いのは想像できますが、それ以上のことは分かりませんでした。

 今回、旧北陸本線トンネル群のガイドのコースに入っているので見に行きました。
 
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 小屋には二つの部屋があって、一つにはパネルでの説明が、
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 もう一つには、ランプが置いてあってその使い方の説明がありました。
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 ランプは上記機関車の前に置いて使ったようです。
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 当時の敦賀港の写真
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 地図
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 敦賀港は大陸との交易が盛んでした。

 ヨーロッパへの玄関でしたし、ヨーロッパからの物資も敦賀港に荷揚げされていました。

 国際港だった訳です。

 当然物資を運ぶ鉄道も敷かれていて、相当な賑わいでした。

 当時の建物はレンガ造りが主流でした。

 近くには敦賀港駅舎が残っており、鉄道の変遷を見ることが出来ます。

 詳しいことはこちらから。
 


posted by 福井 県人(フクイ ケント) at 07:55| 福井 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史的遺構 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年07月01日

養浩館

 養浩館の中に入って行きます。

 長い廊下を通って・・・・・、
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 正面にお風呂があります。
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 ここで入ります。
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 蒸し風呂?

 砂利と縁側
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posted by 福井 県人(フクイ ケント) at 08:43| 福井 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史的遺構 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年06月27日

南谷発掘調査地(その2)(平泉寺)

 「中宮白山平泉寺境内絵図」によると白山神社の南側に南谷三千六百坊がありました。

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 現在杉林や田畑などが広がっていますが、その下には四百数十年前の僧侶の坊院(屋敷)跡が残っています。

 平成元年からはじまった発掘調査によって、平泉寺の坊院の間を網の目のように石畳道が走っていることが分かりました。

 明らかに昔の遺構であることが分かります。
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 この道を誰があるいたのでしょうか。
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posted by 福井 県人(フクイ ケント) at 18:08| 福井 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史的遺構 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月24日

敦賀市立博物館

 敦賀港の近くに銀行だった建物が残っています。

 銀行は大和田銀行と言ったんですが、現在では市立博物館として利用されています。

 港に行く道沿いに看板があります。
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 建物は石造りで3階建です。
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 映画に出てきそうなカウンターです。
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 講堂
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 会議室
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 昔のエレベ-タ―
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 敦賀市立博物館は旧大和田銀行本店建物(福井県指定文化財)を活用した歴史博物館です。

 建物修復工事のため平成24年8月20日から休館し、平成27年7月4日にリニューアルオープンいたしました!

 住所: 〒914-0062 福井県敦賀市相生町7番8号
 電話: 0770-25-7033
 FAX: 0770-47-6131
 メールアドレス: museum@ton21.ne.jp

 休館日:毎週月曜日
 入館料:一般300円 団体(20名以上)250円 / 高校生以下無料

 地図
 




posted by 福井 県人(フクイ ケント) at 08:01| 福井 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史的遺構 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年04月06日

ランプ小屋

 金ヶ崎宮に上る手前に小さなスレート葺きのレンガ造りの小屋があります。

 ここは昔、蒸気機関車が走る時代に燃料を保管しておく倉庫として建てられました。

 燃料は灯油で信号燈に光源としてカンテラが使われました。

 灯油は燃えやすいために倉庫が作られました。

 この倉庫があった場所は敦賀港駅の敷地内で廃線となった今では使われなくなっています。

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 中には油らしきものは残っておらず、がらんどうでした。
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 ここで使われているレンガには文字が刻まれており、作った職人の名だそうです。

 今でもそうですが昔の職人は自分の名前をどこかに残して行ったんですね。

 見るのにそんなに時間はかからないので、行った時には見てみると良いと思います。

 ただいつも開いているかどうかは分かりませんが・・・・・。

 以前からここにランプ小屋があったことは知られいますが、公開はされてなかったように思います。


posted by 福井 県人(フクイ ケント) at 01:00| 福井 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史的遺構 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする