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2013年02月18日

人道の港 敦賀ムゼウム

 敦賀の金ヶ崎緑地公園に建つ休憩所に日本のシンドラーと言われている杉原千畝がビザを発給して敦賀港に上陸したポーランドのユダヤ人の記録が残っています。

 杉原千畝の略歴はこちらから。

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 中にはいると・・・・、
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 何組かの人が来ていて資料を熱心に読んでいました。

 当時の敦賀港は大陸への玄関口だったんですね。
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 ヨーロッパに行くときには敦賀港を出発して何日もかけて大陸鉄道でヨーロッパに向かいました。
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 2階にその記録が展示されています。
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 難民の人がお金の代わりに置いていった時計
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 杉原千畝が書いたビザ
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 当時は一つ一つ手で書いてました。

 ユダヤ人難民の避難経路です。
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 ずいぶんと長い距離です。

 上陸地点から駅までの間にいくつかのエピソードが残っています。
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 ・港に着くと敦賀は天国に見えたそうです。
 ・長い入国審査を終えて船を下りて敦賀駅に向かった。その時少年が近づいてきてリンゴやミカンを差し出した。
 ・何日もかけて日本にたどり着いた難民達に対して銭湯(朝日湯)を無料開放した。
 ・お金も食べ物もないユダヤ人達は身につけていた時計などを売りに来た。

 
 今では敦賀港は地方の一港ですが、当時は国際港として栄えていたんですね。

 そんな港に残るエピソードでした。

 地図
   


posted by 福井 県人(フクイ ケント) at 06:15| 福井 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | お知らせ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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