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2012年03月27日

鯖江市内に残る文化財

 鯖江市内には恵美写真館の他にも歴史ある建物が残っています。

 そんな建物のうち近くにある建物を見に行きました。

 最初は、旧鯖江地方織物検査所

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 人絹織物検査所の事務所として昭和10年に建てられました。

 洋風木造2階建の建物で内部には当時使われていたカウンターがそのまま残っています。
 旧今立立郡の中心地であった鯖江町も日本有数の繊維産地であり、この付近は明治から昭和にかけ、多くの  繊維産業関連の建物が軒を連ねていましたが、現在ではそのほとんどが姿を消し、福井県の近代繊維産業の歴史を物語る数少ない遺構として残るこの建物は貴重な存在です。

 現在は、さばえ現代アートセンターとして個展や展示会が随時開かれています。


 もう一つは、鯖江藩家老植田家長屋門

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 植田家は鯖江藩の家老職にあった家柄で、この長屋門は鯖江藩時代の面影を残す数少ない建造物のひとつです。

 鯖江藩は、越後村上藩主間部詮言<まなべあきとき>(1690〜1724年)が越前鯖江に転封を命ぜられたことにより、享保5年(1720)に成立した。

 城下町は、西鯖江村にあった幕府の代官所跡を藩邸とし、新町・古町・寺町などの町屋敷、西家中・中家中・裏家中などの武家屋敷をおいて形成されていた。

 長屋門のある旭町1丁目は、裏家中東側に相当する。


 当時、上級武士の家屋には表門を付けることが許されており、敷地の周囲をめぐらす長屋の一部を門としたところから、これを一般に「長屋門」と呼んだ。これらは武家の持高によって、梁間の長さや番所の有無、形式、規模などについての細かな格付けがあった。

 植田家長屋門の規模は桁行13.5間 梁間2間で、現状は平屋建瓦葺<ひらやだてかわらぶき>であるが、 文献によると、当初は享保16年(1731)頃の建築と推定され、茅葺で、桁行10間、梁間2間の長屋1棟と2間×2間の厩<うまや>があり、その間に木の門があったという。

 その後、数回改造されており、慶応元年(1865)の「新規御門建替仕様書」によれば、この時に屋根を茅葺から瓦葺に改めたことが分かる。

 明治21年(1888)頃に 門の部分を改造、東に居間等を付設して現在の外観となった。

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 年をとった性でしょうか、何故か古い建物やを見ると懐かしい気持ちになります。

 子供の頃には何にも感じなかった風景が、大人になって同じ景色でも懐かしく感じます。

 記憶の中に忘れてしまったと思っていた光景が残っているんでしょうか。

 車を降りて歴史ある町を、当てもなく歩く・・・・・・・・。

 ただ歩く・・・・・、ぶらぶらと・・・・・。

 すると路地の隙間から見える光景から新しい発見に繋がるときがあります。

 これがそぞろ歩きの楽しみですね。

 きょろきょろとして、不審者と見られないようにして・・・・・。


posted by 福井 県人(フクイ ケント) at 06:15| 福井 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史的遺構 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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