この名前を知っている人はかなりの歴史通です。
水戸天狗党は江戸時代の終わり頃(今から約140年前)水戸藩の家老武田耕雲齋率いる天狗党は外国からの干渉に対処するために、水戸藩を出発して京都を目指した。
天狗党は尊皇攘夷であったが、水戸藩主一橋慶喜(後の徳川慶喜)に後ろ盾になってもらおうと出奔した。
幕府はこれを阻止しようとして追っ手を差し向けた。
天狗党一行は出来るだけ争いにならないように戦を避けながら越前の敦賀(福井県)にたどり着いた。
水戸を出立してから45日間歩きづめであり、敦賀の新保には幕府の追っ手13,000名が天狗党を取り囲んでいた。
追っ手の総大将は頼りにしていた一橋慶喜であったため、遂に加賀藩の軍門に下りました。
その後、天狗党一行は劣悪なニシン倉に幽閉され、刑罰を受けました。
その内訳は
死罪 353名
遠島 137名
追放 188名
水戸送り 125名
審理が終わった後、5日間に渡って353名の斬首が行われた。
日本の前途を憂いつつ来迎寺原頭に無念の涙をのんで露と消えたが、烈士達の意志は回天の大業「明治維新」を実現する原動力となり、近代日本を誕生させました。
水戸烈士が眠る塚です。
塚の周囲は約4.3m四方、高さ約4mです。
石碑です。
水戸烈士達が閉じこめられていたニシン倉です。
中の様子です。
鍵が掛かっていて入れませんでした。
ガラス越しの撮りました。
墳墓の地図です。
今でも、墳墓の周りは綺麗に整備され、水戸天狗党の人たちが如何に慕われていたかを物語っています。
敦賀を訪れた際には是非お立ち寄り下さい。
お待ちしています。
場所は
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武田耕雲齋の辞世の句です。
討つもはた 討たれるもはた 哀れなり
同じ日本の乱れとおもえば
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敦賀水戸烈士遺徳顕彰会は松原公民館内にあります。
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