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2012年04月22日

原発再稼働問題

 今朝の新聞の一面記事に福井新聞社が行った「大飯発電所の再稼働アンケート」を県内の17市町長を対象にした結果が載っていた。

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 これによると、条件付き賛成が7人。

 これに対する是非はここでは述べない。

 ここからは私の意見を書いていきたいと思います。

 
 私は原子力発電所に化学分析員として二十数年働いて、ちょうど昨年2月、事故が起こる前に退職しました。

 仕事の内容は一次系、二次系の水質分析が主なもので、被爆の可能性がある管理区域でも働いていました。

 その感想は、世間が思っているより安全だということでした。

 原子力発電所で働く以前は、アゾ染料の中間体を作っている化学会社で働いていたんですが、ここの方が薬品はかぶるし、臭いはきついしで、毎日仕事が終わると会社にあるお風呂に入って体に着いた薬品を洗い落としてから帰る日々でした。

 ですから、原子力発電所の方が楽でしたし、安全できれいでした。

 このように書くと、原子力発電の養護をしていると思われるんですが、素直な感想です。

 
 さてここからが本題ですが・・・・・。

 原発立地住民の意見としては、こんなものがあります。
  「電気を作って大阪や京都に送ってやってるのに、何でいちいちそんな県の意見を聞かなあかんのや

 一方消費地である大阪や京都などには、
  「原発事故が起こったら放射能が風に乗ってくるやないか、琵琶湖が汚染したら水が飲めんようになる

 ちょっと乱暴な言い方かもしれませんが、こんな感情が当たらずとも遠からずではないでしょうか。

 立地市町は原発があることによって経済的な恩恵を受けてますし、早く動かしてほしいけど、おおっぴらには言えません。

 一方消費地は危ないものは近くに置かんといてほしい、事故が起きても影響がないような遠いところに持ってってほしい。

 言う方は人受けのする安全を前面に出して訴えているから誰も正面切って反対できない。

 でも、これでは議論はかみ合いません。
 
 今までにも、飛行機が墜落して全員が死亡するという事故が何回も起こっていますが、飛行機は危ないから飛ばすな、との意見は出てきません。

 また、新幹線は最高速度を出しているときに事故れば多くの人が死ぬでしょう、でも、止めろとは誰も言いません。

 これは何故なんでしょうか?

 一つの理由として、今までに起こった事故の回数が少ないんです。

 もし飛行機が50%を越える割合で墜落するなら、誰も安全だとは言えません。新幹線も同じです。

 それに加えてもう一つ理由があると思います。

 それは、これらの事故は技術で制御できるとみんなが何となく思っていることです。

 でも今回の事故の大本は自然災害によって引き起こされたものでした。
 
 自然災害というのは誰もその大きさ、程度を予測できません。

 これだけすれば100%安全だ!!とは誰も言えないのです。

 それと同じように、これだけしたから100%安全だとも言えないのです。

 何を基準に安全を決めるんでしょうか?

 安全に対する100%の基準なんてありません。

 では、どうすればいいのでしょうか?

 今現在で対応できる技術で対応する、としか言いようがありません。

 なぜなら、そこに原子力発電所があるからです。

 きれいさっぱり跡形もなく消してしまうことは出来ません。

 私たちは電気の恩恵に預かり、電気を必要としているからです。

  
 なので、私の意見としては原子力発電所の稼働については賛成です。
 

 こんなふうに書くと、やっぱりそこで働いてきたからや・・・・、なんて言われるんですけどね。

 
 最悪のことを想定してそれに備え、楽観的に構える。

 こんな考えです。

 もちろん賛否両論あると思いますが・・・・・・。

 ご意見お待ちしています。

 
posted by 福井 県人(フクイ ケント) at 11:09| 福井 ☔| Comment(6) | TrackBack(0) | 編集長のブログ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
ご意見に賛成です。
しいて付け加えれば、

1 人はなじみのないものを警戒

 明治初期には、蒸気機関車を通すことに人々は反対でした。電線の下を、汚染から免れようと,扇をかざして通りました。

2 万一の事故の大きさが、原発の場合、極端に大きいのでは

 飛行機、自動車、新幹線の事故は、乗り合わせた人と、その場にい泡沙汰人だけが被害者になるが、原発の事故は、広範な「無関係の」人々を巻き込む。

3 理解が困難

 飛行機等の事故は、誰でも、一応理解・説明出来るが、原発の事故はそうではない。(魔女が怖いと同じ)

4 長期的影響が怖い

 飛行機等の事故は、影響が短期的だが,原発の事故は、自分のみならず,幾世代にも影響する。

5 メリットの享受と代替性

 飛行機のメリットは明らかで、代替手段はほとんどない。一方、原発は代替手段があり、原発でなくても,メリットは享受できる。

 等々がありましょうか、これらに対する反論等はいずれまた。

 いずれにせよ、いろいろ考える機会を頂き,有り難う存じます。
Posted by 徳久芳郎 at 2012年04月23日 01:19
徳久さま
 コメントありがとうございます。
 当事者(地元民やそこで働いているもの)にとっては「不安ではあってもそこで働きたい」というのが本音だと思います。反対に離れている人(利害関係がない人)にとっては「俺たちにまで危険にさらさないでくれ」というのが本音だと思います。
 どちらの立場で考えるにしろ、現実に原子力発電所は存在するわけですので、電気が足りなければ動かさざるを得ないわけですし、動かさなくても済むのであれば、今ある発電所をどうしてしていくのか、ソフトランディングしていくのかを考えないといけないと思います。
 事故は不幸に起こってしまいましたが、そのことをどの様に未来に生かすのか、このことが重要だと思います。
Posted by ケント at 2012年04月23日 02:39
私は福井から東北、原発に近いところへ嫁いだものです。

簡単にしか発言しませんが、私たちはあの事故から生活が一変しましたよ。

飛行機、新幹線と一緒にしないで、という気持ちです。
子供を外に長く出せない、食べ物も遠くから取り寄せる、水も買わなくてはいけない、洗濯は外に干せないなど、他にも気を使わなくてはいけないという、この苦しみが一生続くこと、きっと今回の事故から遠方の方々は、あまり考えたことはないんではないでしょうか。
たまに福井に帰省し、子供たちがドロドロになって遊んでいるのを見て、これが普通なんだ、こんなことがもう出来ないんだと、涙を流しました。

それくらい、あの事故は大変大勢の人々の人生を変えたんです。

飛行機、新幹線とは比べてほしくないです。
事故を起こした数じゃないんです。

立地市町の方たちには、生活が成り立たないなど、出身地ですから、それも分かりますが、その方々の何倍も人生を変えられてしまった人がいることを知ってほしいです。
だからこそ、この恐怖、不安を実際に経験した者として、大好きな出身県、福井に同じような事故が起こってほしくないのです。
私は大反対です。

あの自然災害で起こってしまった事故が、いくら福井でより安全対策を行ったとしても、絶対に大丈夫だとはいえないんですよ。
福井にいる両親、友人たちにはあんな怖い思いはさせたくありません。
私たちだけで充分です。
Posted by まめきっぺ at 2012年04月23日 18:35
まめきっぺさんへ
コメントありがとうございます。
実際に体験された方の言葉としては非常に思いものを感じます。人間は悲しいかな、事故が起こってみないとその重大さに気がつきません。安全神話に踊らされてたといわれればそうかもしれません。それを無理に信じ込んでいたのかもしれません。私には何もしてあげられることはありませんが、原子力発電所で働いていた者の一人として動こうと思っています。
Posted by ケント at 2012年04月23日 20:40
 福井を長いあいだ離れているものです。いつも美しい福井の四季の移りかわりを楽しませてもらっています。

 私は高校までを福井で過ごしたものですが、当時から原子力発電所には批判的な態度でした。さて、ケントさんのブログを読んで申し上げたいことが2点ほど浮かびました。

 一点目は、ご自身のお仕事での体験を普遍化し過ぎているのではないかということです。確かに、20年以上、同じ職場で働いてこられたというのはたいへん立派なことですし、そこで得られた放射線の知識は普通の人間には得難いものです。しかし、当たり前のことですが、ケントさんがなさっていたお仕事が、原発での仕事のすべてではありません。原発の仕事は電力会社だけによってなされるのではなく、その下には何層もの下請・孫請企業が存在します。一般に「クリーン」とされている仕事は親会社である電力会社の担当で、一般的に知られていないような危険な作業は、もっぱら、その下の下請・孫請会社に回されると聞きます。そのあたりは、堀江邦夫氏の『原発ジプシー』に詳しく、一時系統内であってもそこでの労働がいかに過酷であるかということを伝えてくれています。また現在、福島第一原発の事故処理のために全国から動員され、命の危険と隣り合わせで働いている作業員の方たちのことも、決して忘れてはなりません。以上のように少しでも視野を広げてかんがみてみると、決して原子力発電所での作業を、安全とはいえないと思います。

 二点目ですが、原子力発電所を肯定なさる理由として「なぜなら、そこに原子力発電所があるから」とおっしゃっていますが、納得しかねます。まるで、山や海が存在するのと同じように、原子力発電所も存在するかのように聞こえます。そこに原子力発電所があるのは、人間の意思が働いたからです。間違いなく人間が建てたものです。おそらく、原子力発電所を、山や海のように「自然と」存在するもののように感じられてしまうのは、建設当時、多くの民衆が、その建設の意思決定の過程から外されていたからではないでしょうか。もう、電力会社の重役や有力政治家といった一部の人間の都合で、私たちのエネルギーを決めてしまうのはやめませんか。そうでないと、福島のようなことが福井でも起きた際に、私たちはきっとものすごく後悔すると思うのです。
Posted by ブンナ at 2012年04月30日 19:35
ブンナさんへ
コメントありがとうございます。
仰るように私がしていた仕事は、化学分析という一分野の仕事でした。原発ジプシーという本は知っていたものの読んではいませんので、そこに何が書いてあったかは分かりません。
 私が働いていた30年ほど前は確かに放射線管理はずさんでした。
 でも今は定期的に監査が入りますので、それほどではないと思います。昔は放射能が高いところには線量計を外して作業していたなんて言う話もよく聞きました。
 下請け、孫請けはどのように管理していたのかは分かりませんが・・・・。
 それと、私は原子力発電所を全く肯定しているわけではありません。私が言いたかったのは、今現在原子力発電所が現実にそこにあるから、それを何とかしなければいけないと言っているんです。
 原子力発電所に勤めだしてから分かったことはいくつもあります。
 最初は仕事場を探していて、たまたま発電所で働くようになりました。
 そして、試験に受かるために放射能、放射線のことを勉強していって、少しずつ分かるようになりましたが、同時に疑問も出てきました。
 ここでこんな事を書くとまた叱られるかも知れませんが、私は原子力発電所は技術的には制御できると思っています。燃料を冷却する系統と冷却する水の確保が出来れば原子炉が暴走することはありません。すなわち、地震が来ても壊れない容器と冷却水などを送り出す電気系統が壊れなければ制御できます。
 しかし、使用済み燃料を冷却保管する場所がないんです。このために遠からず原子力発電所は止まるでしょう止めざるを得ません。
 いわゆる核のゴミですね。これがネックになっています。
 今までは補助金という名目で、自治体にお願いして中間施設を作ってきましたが、それももう限界でしょう。
 と言うのが、私の見解です。
 
Posted by ケント at 2012年04月30日 21:37
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