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2010年02月22日

籐野厳九郎

 今からおよそ客年前、一人の中国人と一人の日本人が仙台医学専門学校で出会った。

 中国人の名前は魯迅、日本人の名前は藤野厳九郎

 この出会いが籐野厳九郎と魯迅が深い絆となり、「最も尊敬する師」と言われるまでの関係となった。

 籐野厳九郎は医学校で教鞭を執り、魯迅は中国からの留学生で解剖学の講義・添削を通して励まし指導を行った。

 当時、中国蔑視の中にあって魯迅にとって生涯忘れ得ぬ「偉大な恩師」として心に残ることとなった。

 その後、籐野厳九郎が東北帝国大学医学専門部教授となるも大学の組織が変わったため辞職し、三井慈善病院で耳鼻咽喉科の講義を受けて務
めるがここも辞め郷里である福井に戻ってきた。

 その籐野厳九郎が開業した医院が今もあわら市に残っています。

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 家の中は驚くほど質素で、不必要なものは今の医院とは全然違うと感じました。
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 診察室
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 座敷に飾られている若き日の魯迅と籐野厳九郎
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 白衣
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 恥ずかしいことですが、魯迅という人は知っていたものの、籐野厳九郎という人物をこの地を訪れるまで知りませんでした。
 
 中国の偉大な文学者であり思想家であった魯迅

 彼がここ日本で勉強をし、文学に目覚め、後に中国に帰ってからは文学を通じて中国の発展に少なからぬ影響を与えた人になりました。

 そのきっかけを作った籐野厳九郎

 その人物についてはもっと知ってもらいたいと強く思いました。

 
 1983年に中国・紹興市と芦原町との間に「友好市町」が締結されています。


posted by 福井 県人(フクイ ケント) at 06:43| ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | 福井の有名人 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
私も5年ほど前に芦原温泉での同窓会の時に、この藤野先生宅を案内されるまでは故郷にこのような偉人が居たことを知りませんでした。やっぱり福井県内の小学校できちんと郷土の偉人を教えるべきと思いました。 西新宿発信 今庄大桐出身
Posted by こーちゃん at 2010年02月22日 10:52
こーちゃんさんへ

今庄にもこんな人物がいました。

田中和吉
 昭和5年に資材を投げ打って社会強化を推進する拠点として、鉄筋コンクリート三階建ての昭和会館を建設した。
 宿泊できる研修場所として、福井県内の団体が利用した。

 昔はここは今庄役場として利用されました。今は公民館として今庄地区のいろいろな団体に利用されています。

 どんなに小さな町にも篤志家はいるもんですね。
 
Posted by ケント at 2010年02月25日 04:51
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