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2009年03月05日

今庄宿(その6)

 その昔、今庄宿場町でした。

 その面影は、今でも見ることが出来ます。

 今は人は住んでいませんが、昔のホテル、若狭屋という旅籠です。

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 江戸時代の純粋な旅籠です。

 昔は屋根が檜皮で葺いてあり、風で檜皮が飛ばないように石が載せてあった。

 旅籠本陣脇本陣とは違い、一般市民が宿泊する旅宿で、初めは食事を持参し薪代などを払う形態であったが、交通量が増大し、庶民の旅行が多くなると、現代の旅館形態に変わった。

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 通りを隔てて堀口酒造さんがあります。

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 4軒目の酒蔵です。


 その正面には、京藤甚五郎家があります。

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 この家は今庄宿で唯一公開されていて、ひときわ異彩を放つ家が京藤甚五郎家です。

 塗籠の外壁と赤みの強い越前瓦の屋根の上に卯建(うだつ)のあがっているのが特徴です。

 天保年間(1830〜44年)の頃の建物で当時は造り酒屋でした。
 
 厚い壁や土戸周囲が覆われた土蔵づくりで燃えやすい木の部分が外に出ないように作られており、屋根には隣から火が移るのを防ぐ卯建や、二階部分には袖卯建があり、完全な防火構造になっています。

 一般の町屋は敷地間口いっぱいに建てるのが普通でしたが、当家は母屋の左に前庭をとり、奥に座敷を配する本陣形式をとっています。

 今庄宿内では脇本陣の建物であり、部屋の構造は厚い壁で客間と生活の間が仕切られています。

 幕末の国学者で歌人の橘曙覧や、明治維新の立役者の岩倉具視由利公正の書が所蔵されており、また、水戸天狗党の一行が宿泊し、造り酒屋であった京藤家の酒で風呂を沸かして浴したというエピソードや、刀傷を付けた柱が今も残っています。


 今庄の典型的な町屋です。

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 この家は馬をつないでいた金具を衣装として柱に取り付けてあります。

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 この家は御札場跡にある旧西尾茂左衛門家

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 福井藩第4代光通の時寛文元年(1661年)11月、福井藩が初めて幕府から銀兌換の藩札の発行が認められました。

 福井藩内では藩札の使用が強制されたので、藩の南端の宿場町である今庄では、旅人や商人が金銀を藩札に、あるいは藩札を金銀に両替するために御札場が設けられました。

 この御札場は、最初は北村太平家が、その後は北村新平家が、続いて西尾茂衛門、、また享保15年(1730年)からは北村善六家が務めました。


 続く・・・・・・。





 

posted by 福井 県人(フクイ ケント) at 04:03| ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | 嶺北の観光地 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
年に数回今庄方面に行きますが、昔の面影がそのままの場所がおおいですね。町の活性化はその場に住む人たちが本気にならないとだめなんでしょうね・・・・。そばまつりもあるしね・・・。そば・宿場町の宿泊もよろしいかと思いますが、仕掛けは大変だと思います。
Posted by たけふ大好き美幸 at 2009年03月05日 23:36
美幸さんへ

はい、大変だとは思いますが、今年から動いてみます。
Posted by ケント at 2009年03月06日 12:32
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